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zoom RSS 哲学はいらない(4)

<<   作成日時 : 2008/11/15 22:04   >>

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哲学はいらない(4)081115「非決定論的科学」
 古代から人類は、自然の世界や人間の社会を見て来ました。感覚的に見るだけではなく、物の本質的動き事象を見極めようと試みてきました。

 ギリシャのプラトンの言う“イデア”と言うのは、此の見るという行為の究極的あり方を示しています。しかし、人間は、時として、見誤る事も有ります。其処で人間とは何かと言う問いが生まれました。人間は“考える葦”であるとか、“我思う故に我有り”とか、
観察者である人間に付いての考察が出て来ました。

 ヨーロッパ生まれの“理性”と言う概念は、感覚、感性を超えた観察によって理解しょうと試みたものです。感性は動物的なもの、理性こそ人間的なもの、と言う観念も生まれて来ました。しかし、此れには問題も有りそうです。

 確かに、人間には直截的行動ではなく、行動を抑制する能力も備わっており、感情に任せて行動を起こす事より開明的文化では有ります。

 問題は、人間にとって理性と感性の対立ではないと言う点です。人間は直截な行動から抑制的行動を身に付けることで、新しい能力を身に付けて来ました。人間にとって共に生きて行く上で必要な能力です。

 透明なガラスの向こうに餌を置きます。犬や猫は餌を得る為に直線的に近づこうと試みます。サルは透明なガラス板を迂回して餌に辿り着こうとします。此れはサルの新たな能力です。

 古代中国の史書に、生女真、熟女真と言う記述が有ります。中国文化に触れ其れを受け入れた女真族と、受け入れてい無い野蛮な女真族を表現したものです。此の基準と成っているのは中国中原文化です。

 人間の文化には多様性があります。此の多様性が人間の強みでもあります。一つの文化の行き過ぎも、他の文化で抑制される事で、人類全体の絶滅を担保されています。

 人間は好ましい文化を受容し、好ましくないものを捨てて来ました。最も、其の逆も有ったと思います。人間文化の寛容さは、此の抑制された新しい文化を、吸収して行く所に有ります。

 ヨーロッパ文化を人類の文化の最高点と位置付け、他の文化を劣った文化と退ける事は、本来、人間の持つ寛容さ、理性とは無関係です。表面的豊かさ、一面的真理などは、人類の発展史からは、何れ捨て去られる運命に有ります。

 哲学は“見る”と言う概念から発展し進化して来ました。其処に、科学は“事実を確かめる”と言う作業を付け加えました。此れは未来予測を確率的に可能にしてくれます。現在の経済学では、経済的損得は自己責任でと、経済学者は言います。未来予測の学問ではないでしょう。言い換えると、科学とは無縁です。

 其の本質は、神の創り賜う自然の法則の発見の延長線上に有ります。未来社会では、人類の未来を予測する学問として、非決定論的科学の発展を望みたいものです。

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